第9章
弁当と駅弁

RECIPE

レシピ

おにぎりの作り方動画です。
詳しいレシピは本書をご覧ください。

IDIOM

慣用句

腹八分目

ご飯はお腹いっぱい食べるのではなく八分目(80%)ぐらいにしておくのが健康にいいという意味。


「いくらお腹が減っていても、腹八分目にしたほうが健康にいいですよ。」

A: よく食べるね。
B: うん、今日はお腹ペコペコなんだ。
A: でも、腹八分目にしたほうが健康にいいよ。

本文関連リンク

各章の本文に関連する写真や文献へのリンクです。

弁当

駅弁

数は少ないですが、まだ駅弁売りは残っているようです。残っている駅を探してみましょう。

海苔
海苔はすしが一番ゆうめいですが、他にはどんな食べ方がありますか?
日本以外で海苔を食べる国はどこがありますか?

映画「今日も嫌がらせ弁当」(2018)
キャラ弁をテーマにした映画です。実話に基づいています。

ESSAY

パーソナルエッセイ

お弁当の思い出
ウェイ諸石万里子

私は食べるのが大好きで、子供の頃の幸せな思い出話には必ず食べ物が登場する。特にお弁当に関しては、 数え切れないほどの思い出がある。中学校から高校まで六年間、兵庫県にあるカトリック系の女子校に通った。教職員のほとんどが修道女で、校則が厳しいことで有名な学校だった。中でも忘れられないのが、「昼食は必ず自宅から栄養バランスのいいお弁当を持参する事。登下校中にパン屋やコンビニエンスストアで昼食を購入することは堅く禁じる。」という校則だ。私の母校にはカフェテリアや購買部がなくて、 コーヒー牛乳と豆乳が売っている自動販売機が二台あるだけだった。おやつを家から持って来てはいけなかったし、昼休み以外に飲食する事も禁止されていたのだ。

中高時代は、一日のほとんどを学校で過ごした。オーケストラクラブの練習のため、毎朝6時に家を出て、 帰宅するのは 夜7時だった。育ち盛りのティーンエイジャーがたった一つのお弁当で13時間活動するのはとても無理で、帰り道は空腹で目がぐるぐる回りそうだった 。一度だけ我慢できなくなって、 こっそりパン屋に寄って卵サンドを買ったことがある。しかし、卵サンドを大急ぎで口に詰め込んでいる時に、運悪く駅の周辺を見廻っていた先生に捕まってしまった。翌日、 罰として「銀杏 の刑」を受けた。銀杏 の刑とは、校庭に 落ちている銀杏の実をお箸で一つ一つつまんでバケツに入れ、オレンジ色の果肉を外して、 種を出すことだ。こうして集めた 種はその後よく乾かして、クリスマスバザーで商品として売られた。あの銀杏の鮮やかなオレンジ色と強烈な臭い!そして危険を冒す価値は十分にあった卵サンドの美味しさは、今でも忘れられない。

お昼休みは一日で一番幸せな時だった。12時のベルが鳴ると、生徒たちはガタガタと勉強机を動かして、皆で輪になってお弁当を頂く。私のお弁当は毎日同じメニューで、白ご飯に梅干しか海苔、ゆで卵、 ソーセージとほうれん草のおひたし。当時三人の子供を育てながら舅姑の介護に毎日通い、おまけにひどい低血圧だった母は、朝早くから凝ったお弁当を作る余裕などなかったのだろう。毎日ちゃんとお弁当を作ってもらえるだけでも有難いと理解していたが、当時 私は友達を羨ましがってばかりいた。例えば、友達のももちゃんのお弁当は漆塗りの重箱三段重ねで、 色とりどりの美味しそうなおかずが詰められていた。「 一度でいいから、ももちゃんがお弁当を交換してくれないかな」と何度思ったことか!もう一人の友人、まやちゃんのお弁当には、毎日お母さんからの 手紙が添えられていた。本人は「恥ずかしいからやめてって言ったのに!」と怒っていたが、私は羨ましくなって、 「私のお弁当にも手紙をつけて。」と母に頼みこんだ。翌日、 「世界史のテストはどうでしたか?野菜もしっかり食べてね。」と書かれたメモ用紙がお弁当袋に入れてあるのを見て私は大喜びしたが、 母からの手紙はそれが最初で最期だった。しかしよっぽど嬉しかったのだろう、その手紙は 宝箱に保管して、長年持っていた。

私の母方の祖父母は京都に住んでいた。私の高校の遠足はいつも京都の有名なお寺、神社巡りだったので、遠足の前日は必ず祖父母の家に一人で泊まりに行ったものだ。 祖母は私の訪問をとても喜んでくれて(祖父が亡くなってからは特に)、いつもこぼれるような笑顔で出迎えてくれた。まず祖母は 夕食前に お風呂に入るよう私に勧め、その間制服にアイロンをあてておいてくれる。晩御飯はすごいご馳走で、お寿司やすき焼き、ステーキ、そしてテーブルにのりきらないぐらい沢山の副菜が並ぶ。そして祖母は、翌朝の朝食用に、近所の有名なベーカリーで私の大好きなブドウパンを買っておくのも忘れない。「あなたのママもそのブドウパンが好物だったのよ。やっぱり親子ね。」と毎回同じセリフを繰り返す。 夕食を二人で頂きながら、 私は学校 や友達の噂、家族の近況などについて祖母に話す。祖母は本当に聞き上手で、私の話をウンウンと頷きながら何時間も聞いてくれる。 そして遠足の当日、祖母は私が夢見ていた豪華なお弁当を持たせてくれた。 紙製の使い捨てお弁当箱(祖母は重いリュックを持つと 背が伸びなくなるのではないかといつも心配していた)には、おにぎり、きんぴらゴボウ、野菜の煮物、豚肉の生姜焼き、鶏団子、だし巻き卵、自家製のぬか漬けがぎゅうぎゅうに詰めてある。お弁当の他に、祖母が前日に焼いておいたパウンドケーキも入れてあった。「お友達や先生と分けてね」と書かれたメモと一緒に。祖母は私が大学生の時に亡くなったが、今でも「遠足」と聞くと祖母のことを思い出し 、切なく、またたまらなく幸せな気分になる。

東京の大学を卒業した後、すぐアメリカの大学院に留学した私は、卒業後 インディアナ州の大学に就職した。同じ大学で教鞭をとるアメリカ人の夫と出会って結婚し、3年後に息子が生まれた。日本を離れて26年、人生の半分以上をアメリカで過ごした。それでも、お弁当は毎日家族の為に作っている。祖母が作ってくれたような豪華なお弁当は和食の材料が揃わないから作れないが、好き嫌いが多い息子 には おにぎりと唐揚げ、ゆで卵、ブロッコリー、フルーツサラダ、ジュースとクラッカーなどをお気に入りのお弁当箱に入れて持たせている。こんなシンプルなお弁当でも、カフェテリアでホットドックやピザを食べるよりいいかなと思っている。 お弁当を作る為に早起きするのは辛いけど、お昼ご飯が楽しみだと、朝の授業がもっと頑張れる。そしてお昼休みに、今頃お弁当を食べているであろう夫と息子のことを思う。離れていても、家族がお昼に何を食べているのか分かっていると、なんだか安心できる。料理は口下手な人でも出来る愛情表現ではないだろうか。特にお弁当は、愛しい人に色々なメッセージを送る事ができる。「忙しい一日だろうけど、勉強・仕事頑張ってね。」「あなたが好きな食べ物、ちゃんと知ってるよ。」「体によくて美味しい物を食べて、いつまでも一緒にいようね。」と。

「内容質問」の解答

本書の章末「内容質問」の模範解答です。

1 日本の弁当の起源は平安時代の「干し飯」とされています。調理したご飯を日に当てて乾かしたものでした。その後は、握り飯が江戸時代に食べられています。

2 子供のために親がつくる可愛らしい弁当のことを言います。「どらえもん」や「ハローキティ 」などのキャラクターが入っていたりするので、キャラ弁という名前になりました。

3 全国の鉄道の駅で買える弁当のことを「駅弁」といいます。日本の駅弁の種類はとても多いです。

4 昔は、列車が止まっている間に、客が列車の窓を開けて、弁当を売る人を呼んで書いました。弁当売りは箱に弁当と飲み物をいれて、プラットフォームを歩いて売りに来ました

私のお弁当(my bento)

皆さんのお弁当を見せてください。

Padletで作成されました

駅弁(station bento)

皆さんが見つけた駅弁を見せてください。日本じゃなくてもいいです。

Padletで作成されました

Column

番外編

江戸文化に造詣深い筆者による日本の食に関するコラムです。

本書掲載レシピ写真撮影:亀井宏昭写真事務所
本サイト掲載レシピ動画撮影:福留奈美